2021.05.2813:00
「人の命」について
生まれてきてこのかた、何度も「人の命」について考えたことがある。
それは色んなタイミングでやってきて、身近な人が死んだ時や自分が事故に巻き込まれたときなど。
それに加えて「死にたい」「生きている意味がない」「死のうと考えている」と人から聞いた時。
あまり深く考えずに楽に生きれればどれだけ楽なんだろうか。
能天気に、人の言葉や評価など気にせずに生きていけたらどれだけ明るいのだろうか。
あいにく自分にはそれが出来ず、どうしても考えてしまうタチだ。
自分のことよりも人のことばかりを考えて生きてる。
それが本当にやっかいで、もっと自己中心的に生きたいと何度も思った。
でもだからこそ得てきているものもある事実。
きっと俺みたいな人も少なくないのでは。
理想の生き方を完璧に出来ている人などいるのだろうか。
つい先日、田舎のおばが病気で亡くなった報告を母からの電話で知った。
おばの母はまだ生きているので、自分より娘のほうが早く亡くなってしまったことに相当心を痛めている様子。そりゃそうだ。
俺もそのおばには相当可愛がってもらっていたから、すごく苦しい。
周りで人が亡くなるのは4回目だが全く慣れない。3日くらいは虚無感がすごい。また命について果ての無い思考の時間がやってくる。
不思議なことに、おばが亡くなる3日前に俺の携帯に電話があり「元気かい?会いたいよ」と言っていた。
おばから携帯に電話がかかってくるなんてのは初めてのことで、俺はなんとなく何かを察し涙声で「俺も会いたいよ」と伝えた。
スピリチュアルすぎてなんとも言えないが、人は死期を悟るとそういった行動をするとデータがあるようで。おばはなんとなく悟っていたのかもしれない。
ありきたりだけど、もっと会いに行っておけば良かったと後悔した。田舎といっても鹿児島県、飛行機に乗ればすぐ行ける距離だったのに。
みんなも会える人には会っておこう。当たり前のことだけど。
病気やウイルスで命を落としたりインターネットに簡単に殺される時代で、自殺や命について考えるタイミングが増えた。
考えて考えて、自分なりに辿り着いた答えはやっぱり「1人でいる事が危険」だということ。
病気やウイルスには勝てないが、それ以外の自ら命を絶つことに焦点を宛てると
何か嫌な物事が起こったとき本当に信頼できる人がたった1人でも居るだけで、少し希望が湧くと思っていて。
言いたくないことは言わなくていい。悩みを打ち明けなくてもいい。家族・友達・恋人にも言えない事もあるだろうから。
それよりも、めちゃくちゃに意味の無い会話やくだらない話をすることがとても大切。
内容なんてなんでもいいから、心から思い切り笑える"相手"が居れば、死から少し遠ざかることができるんじゃないかなって思います。
みんなはどんな答えを持つのか、いつか知りたいな。